コラム

真砂町の歴史

 建設予定地である本郷四丁目界隈はかつて真砂町と呼ばれていた。その由来は、古今和歌集の古歌「君が代は 限りもありじ 長浜の 真砂の数は よみつくすとも」からきているらしい。

 本郷区史によると「濱の真砂の涯りなき繁栄を将来に期せるものであらう」との願いを込め明治2年に命名され、昭和40年に改名されるまで「真砂」も町名は使われ今も随所でその名残を見つけることができる。

 「かつてこの界隈は樋口一葉や石川啄木などが居をかまえ、今でも史跡として残っています。さらに、坪内逍遙が『小説神髄』を発表して、近代文学ののろしをあげたのは、ふるさと歴史館近くの真砂町炭団坂上でした。」(文京ふるさと歴HPより引用)

 マンション計画地はそんな歴史ある一角へいざなう散策路の入り口にある。多くの観光客は周囲にそぐわずそびえ立つマンションを見てどんな印象を持つであろうか・・・

新撰組 斎藤一(藤田五郎

 マンション建設地であるこ土地は新撰組の斎藤一がかつて晩年過ごした場所である。特に史跡があるわけでなく、管理人も今回のマンション計画の話があるまでその事実を知らなかった。

 るろうに剣心でダークヒーロとして描かれたこともあって彼の熱心なファンは多いようである。「斎藤一」で検索すると多くのブログを見ることができる。彼を偲んだ方々が巡礼の旅によくこの場所を訪れているらしい。

http://www.1to5.net/saito/places/tokyo/masago.html

http://shmz1975.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-a2e7.html

 幕末の混乱期、自らの使命のため精悍に生き抜いた彼が静かに余生を送ろうと晩年に選んだ場所が真砂町のこの場所であった。

 条例を無視し、幹線道路に背を向けたマンションが建つことを彼はどう思うだろうか・・・

ルサンク小石川後楽園

  2015年11月、文京区小石川2丁目に建設中のマンションに対し都建築審査会が建築確認を取り消す裁決をした。

 建設中に高さ制限が改正され既存不適格となっていた建物は工事の実質停止を余儀なくされた。マンションは完売し、2月から入居者を受け入れる予定であった。

 審査請求を行った住民団体は計画当初、景観を考慮した設計や周辺交通の安全性の確保等を施主側に訴えてきたが最終的には、避難経路の不備が違法となり取消し処分となった。

 今まで近隣住民が行った審査請求にて建築確認が取消され、工事中に執行停止となる事例として新宿狸の森(新宿区建設委員会)、小石川3丁目の旗竿敷地の重層長屋(文京区建設審査会)などがあった。東京都建築審査会が建築確認の執行停止を行うのは今回が初めてで、まさに異例の事態となった。

 規制値一杯の余裕のない設計と高さ制限施行前の駆け込み申請があだとなり確認申請のやりなおしを行うのが実質不可能なため、マンションを取り壊すしかない事態となっている。

 マンション購入者に対し建築主は一方的な契約解除を行うのみの対応で、すでに家を処分してしまった購入者もいて、長年かけて計画したライフプランを一瞬で奪われた購入者達の怒りは収まらず訴訟へと発展している。

 規制緩和で建築確認が民間で行うようになり依頼者側に甘い審査となってしまうこと、土地購入時より規制値一杯の設計にて計画される業界の暗黙のルール、計画段階でいち早く購入者を決めてしまう販売方法など様々な分野に問題を提起する事件となった。

 周辺住民だけでなく、本当にマンションに住みたかった者も被害者となり、「住む」という本来の目的よりも投資目的でマンションを購入した者だけが得をする皮肉な事態になってしまったことは、マンションが単なる投資の道具となりつつあること、そして投資そのもののモラルについても問い正す必要があることを示唆しているだろう。

 様々な分野に警鐘を鳴らす事件であったが、原告不適格となってしまいがちなマンション紛争において建築完了により原告訴えの利益が失われないよう守るという今回の決定は建築紛争裁判においても非常に意味のあるものと共に後世に希望を与えるものでもある。

koishikawa2.mansion.michikusa.jp

 

土地の持つ公共性について

 マンション紛争にて建てる側の言い分としてよく言われるのが「自分の土地に何を建てようが自由だ」や「法律の範囲で最大限の利益を得て何が悪い」といった類の意見である。このコメントに不思議と違和感を感じる。土地を単なる商売の道具として他の商品と同等に扱ってよいのだろうか?

 かつては引っ越しをする時、近所に挨拶周りをする習わしがあった。最近は近所付き合いがなくとも最低限の生活は送れるようになり、引っ越してきたものが近隣に気遣いする傾向は年々薄れてきてしまっている。
 昨今のマンション建設時においても事業者側は法律で定められた回数の説明会を義務的に済ますだけで近隣へ配慮する気持ちは微塵もないと言えよう。
 マンション建設が周りに何の影響も与えず、そこに住む住民も近隣と全く関わりを持たなければ文頭のコメントも成り立つのだが、そうはいかない。
 マンションが建てば日陰も増えるし電波障害も起き、風害も発生するかもしれない。入居してきた住民とも平穏時は関わりなく生きていくことは可能かもしれないが災害時はどうであろうか?周囲に関わりを持たず、自分の土地だけで全てを完結するのは無理なのである。

 かつて松下幸之助が土地について興味深い意見を述べているので引用してみる。
「〖松下〗土地の問題、土地は製造販売するわけにはいきませんね。限られた面積しかありませんから。憲法で私有財産制を認められ、その中には土地も入っています。その点では、ほかのものと同じように私有物として考えられていますけれども、土地に関するかぎり、非常に公共性という性格が強くある。そしてそれを勝手に動かすことはできない。そういうもとに存在し、そういう性質のものですね。政府といわず国民といわず、土地には公共性というものがあるということを強く理解せんと、いま司馬さんがおっしゃったような問題が起こってくるわけですな。」

[出典]司馬遼太郎(著者代表)『土地と日本人』(中央公論社、1980年)219頁

 この本が書かれた後、奇しくも日本はバブルの時代へと突入し、耐震偽装事件が起きる事態へと移行していく。
 司馬氏はこの本のあとがきで「戦後社会は倫理もふくめて土地問題によって崩壊するだろう」と締めくくっている。
 最近はマンション紛争にて反対運動を行う近隣住民に対し、「反対するなら出ていけばよい」といった意見も見られるようになった。
司馬氏の予言通り、日本人の倫理観は既に崩壊してきたようだ・・・